闇雲に行く畦道 | Neo*So

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[ 狂言と昨日の僕 ]

テキスト・散文詩
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突き立てられたフォークが心に刺さったまま
ずっとぶら下げて行くような感覚が欲しいんだ。




思春期の頃によくあったそれは、“失うこと”がとても大きな出来事で
ピースがひとつでも欠けたら、まるでこの世が終わるかのように感じていた。
繰り返しすぎたのか、馴れて、慣れてしまったのか、
なぜか最近では、小さなピースひとつふたつが消し飛ぼうが、
全体像が崩れなければ なんとかなるものだと思うのが自然になっていた。
いやに軽くて、軽くて、
だんだんと、身軽さは生きやすさだとすら思うようになっていく。


でも、なんだか、
砂糖に群がる蟻のように、
光に群がる蛾のように、
ただ、明るく楽しい場所に惹きつけられては踊る、
それだけ。昨日のことも忘れて。


そうして、いつも置いていかれる側だった人間が
何かを置いていく側になったとしたら、それはどんな感慨なのだろう。
ただこれだけは思う、似合っていないようだと。
ひとり先走るのが恰好良いわけでもなく、優劣の優になるわけでもなく、
ただただ、私にはそれが似合っていない。



もともと“哀しみ”は、それほど凶悪なものではなく、
泥水の上に咲く蓮の花のような存在だった。
心の底に蓮が咲くのを見られなくなるのは、
やっぱり不自然なことに思えるのだった。
たとえ蓮のない池が、周囲から見たとき どんなに自然だったとしても、だ。



そうして、哀しみと手を繋いだまま、
蓮の池から離れることができないんだろうか。
それは成長もなく止まっているということなのだろうか。
それとも、池の傍で拵えたものこそが、いずれ私の躰の一部になっていくんだろうか。



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