闇雲に行く畦道 | Neo*So

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「逃げる」のは健康に過ごすために必要ではないかと

分析・対策・治療
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最近の気になること。久々に真面目な話。



20代中頃まで、私はADDであることは伏せてネットライフを送ってました。
それまでは結構ガチな不登校ヒキニートだったため
明かしたら誰からも嫌われるのは必至だと思ってたためです。
オープンにしたのは 復職後、安定してきたごく最近で、
そのタイミングで、ブログやフォロー/フォロワーさんにも
ADHD関連の方を入れるようになってきました。

ただ、すべての方にお返ししてるというわけではなく
正直に申し上げると、二次障害などの病状が現在進行形で重そうな方や、
基本的に暗くなってしまいそうな方は避けてしまう傾向があります。


でもそれは現在の、ある程度回復した状態だから苦しく見えるだけで、
「私も昔はそうだったやん」ってすごくあてはまる内容もあるんですけども。。。



私の場合、
なぜ極限まで神経や体調を病むことなく来れたかというと
残念なことに、「逃げた」からだと思います。

どうしても馴染めなくて行きたくない学校、
精神的に追い詰められて行きたくない会社、
他人に気に入られるためだけに強いられる努力.....


そういうものから根本すべて、逃げてきました。
ぶっちゃけ、褒められることでは全然ない。
得たものも、微細なものだと思います。

親や教師など周囲の言い分を無視したことで、
学生時代の友人、一般水準の学歴、正社員就職、普通の結婚など…
むしろかなりのものを失っています。

が、「健康」を引き換えにせずには済んだ、という感じでしょうか。
とても単純なことですが。。。( ´д`)いや体脂肪的な意味では不健康だが…
立ち向かって成功しました!的な記事をやってる人とは
真逆ベクトルの話ですが、この体験から、
「合う環境が見つかるまで、当たってみる」
というのも方法かも、とは思います。
もちろん基本的に、仕事は続けることが美徳ですから
これも褒められたことではないけど、、

私も途中までは「どこ行ってもこういう感じなんだな」と思ってました。
いくら転々としても、大体同じような展開でダメになるので
「職場ではなく自分に原因があり、その限りどこへいっても変わらない」
と諦め半分になってはいました。

が、現在の仕事場は、今までの職場とはかなり空気が違ってました。


  • 仕事の不出来を、プライベートに結び付けてこない。
    (安易に「ひとりっ子でしょ」とか「甘やかされたのか」とか言われない。
     皮肉や陰口が少ない。)

  • サービス残業がない。
    (始業時刻が書類よりも2時間早かったり、残業代が出ない等の問題がない。
     「無駄な遅れは連帯責任」とか言われることもない。)

  • パートやバイトなどの下っ端に対しても、同等の目線で丁重に扱われる。

  • 誰かが「辞める」と言い出したときに妙な噂になって広がったりしない。
     「なんで辞めるの?」などと無神経な質問攻めに遭う人はいない。


  • 他にもあると思いますが、
    ここらへんのことが、今まで勤めた場所とは大きく違っており
    要はホワイトな要素のほうが強いため、現場のおばちゃんたちも
    比較的穏やかに働いている、ということなのでしょう。
    なのでブログでグチグチ書きつつも、ここだけは4年以上続いてます。
    当然これは 努力や根性、薬剤などで改善されたのではなく
    「たまたまギスギスしていない環境だから見逃された」というレベルの話なわけです。
    彼氏とかに関してもです。性格や特性がそれほど急激に向上したとは思えないので。

    つまり、そういった環境が見つかるまでは「とにかく逃げる」というのも
    ADHD/ASDの人達が穏やかに過ごすための手ではないかしら、と思ったりはする。
    とはいえ「すぐに見つかる保障が全くない」のが痛いところですが。。。



    日本では、「逃げた」とき、リベンジするための
    具体的な機能を持つ「受け皿」がありません。

    先日、RTで見かけた こういった記事もありますが

    https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/12/02/bk/

    基本的に言い分には賛同するのですが、
    たとえば「失敗した人が、第2のスタートを切れるようにする準備施設」
    のようなものが 具体的にあまり存在しない
    ため、
    いくら私達が口頭では「失敗しても構わない」と言えたとしても
    第三者の無責任な意見にしか聞こえなくなってしまうのだと思います。

    要するに、レールから落ちた人が、必ずしも這い上がれるような
    保護や支援のシステムが無い。あったとしても、少数だったり、まだ微力。

    なんとか本人の意志と努力で復活できたとしても、
    「失敗する前の水準」までは、とても遠く戻れない場合がほとんどではないかと。
    (「水準」さえ気にしなければ どうということもないのだろうけど。)

    それを「社会のおとなたち」は熟知しているので
    「失敗してはいけない」と唱え続けるしかないのだろう、と。
    「健全に生きるためには、それしか手段がない」と思わざるを得ないから。
    そりゃあ失敗してもなんとかなるのがデフォルトであれば
    たぶん誰も、落ちた人をいちいち白い目で見たりもしないだろうし
    もっとひとりひとりが、自由で大胆な選択をできるのだろうなと思う。



    ちょっと逸れましたが どうも私としては、
    ドンドン薬漬けになり回復が見込めないほど心身を悪くしてしまう前には
    「まず一旦逃げる」ということは大事なんじゃないか
    と感じます。
    当人が「それを一時的なもの」と思ってる限りは、本当に一時的な回避であり、
    永遠に逃げるような人だ というレッテルに振り回される必要はないのだと思います。


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