人として愛されることと結婚はイコールじゃありません。
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愛されたいな、と思うことがある。
今の時点でも愛されていることは知ってる。
でも質が違うんじゃないか、と感じることがある。
本当に情愛を持ってする人もいるだろうけど、
6~7割方、その気遣いのほとんどは、
諦念によるものだろう、ということに。
気づいてしまってるから。
それでいて、気づかないふりしながら生きなきゃならないから。
さて、それとは関係ないんですが
たびたびまた結婚の話題を振られますね。職場で。
たしかに30過ぎてしまえば見合いという選択肢すら絶え絶えになるでしょうし
焦っとけという言い分は全うだと思うのですが…
でも、「うちのジジババ」「うちの父母」そして「現状の家庭観」
を見るにつけ、無理してまで見合い結婚するメリットや幸福像というものが
まったく私には見えてこないんですけども…
しなくて済むのであれば、しないで今のまま乗り切りたいって思っていたのだが。
やっぱ地元的にはダメなのかねぇ。
「今のカレをこっちに呼べばいいじゃん」って簡単に言うけれども。
働きながら、足りない一部だけを保護費として受けてるタイプは
もしかして違うのかもしれないけど、怪我や病気で全く就労できなくなり、
生活費を100%ナマポで貰っている というタイプの場合、
最初に決定した住居は原則、本人の都合では変えられないはず。
なぜかって、借りるアパートによって、家賃や管理費も違うし、
違う県であれば、土地代からしてそもそも違うし。
そうやって細かい金額が変更されるたびに
保護費から算出される家賃をコロコロ変えるわけにはいかないからじゃない?
で、「じゃあナマポなんかやめて、儂が養ってやるから来いよ」というルートにする場合、
「働いてない母親」「働いてない旦那候補」のふたりを、
「10~12万そこそこの給料」だけで養うことになるわけで。
…あのさ、無理じゃね?
無理というのが言いすぎだとしても、「厳しすぎる」だろ。
10万なんて、一人暮らしだと仮定しても厳しい気がするのだけど。
百歩譲って実家を譲り受けたとしても、
食費とか服とか、光熱費とかの経費は3人分掛かるんだよ?
それとも、そのリスクを「気合や情熱だけで乗り越えられる!!!」
と思えることのほうが普通の感性だというんでしょうかね。
おバカとは言わないんですかね。
今はジジババが生きていて、光熱費の大きいところは
彼らの年金から出てるからこそ、今がある。
でも、どちらも80台半ばなんだよ。
不謹慎だけど、亡くなった後はアテになるお金は入ってこないんだぞ。
ただただ、無責任じゃないの?って印象しかない、
まぁ他人だから当たり前なんだけども。
もしかして本当にお金が無くなった後にこそ気が変わるかもしれないけどね。
自分の人生をこのまま亡くすのが嫌になった時。
どうせもうここまで堕ちたんだからいいジャン、って後先考えなくなるかも。
でもそれは残念ながら、まだ今じゃないんですよ。
今まで、父親が居ないことで不便したことなんてない、って
素で思って生きてきてたけど、こういう流れになるとやっぱキツいのかもって
この歳になって思ってしまうわな。
一般社員としてずっと働いてきて、給料や年金があって、
それでいて人並みに娘思いの父親がいたとしたら
経済力的には七光りをアテにして今の彼をこっちに呼ぶということも
在り得たかもしれない(それもそれでクズだが)。
まぁそんだけ普通の人格の親なら、そんな相手との結婚をまず許さないだろうけど。
なんにせよ、どうしてそうやって彼らは、
明らかに不可能だと思える事象を前に、さも当然と
「出来るでしょ」みたいなエネルギーを持ち続けられるんだろう。
無理だよ。君たちはおいらよりもずっと金貰ってただろ、稼ぎ手も住んでただろ、
って言いたくなるけど、ダメですか。うん、言い訳だよね。
簡潔に言ったら「そこまでして結婚したいと思ってない」に尽きるのだろうね。
なぜなら、「家庭という代物は手に負えないほど面倒くさい」から。
たとえ病気を持っていなくて一般就労してる人が相手にいたとしても、
人柄をあまり知らない状態で さあ暮らそうかという気には一切なれないと思う。
そもそもそうなった時は既に、ATM目的だからな。うまくいくわけない。
精神的に仲いい人がいればそれでいいです。いなくても可。